【メンズアクセサリー】伝説的ブランド Gaboratory ガボラトリーの魅力とは !?

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Gaboratory  ガボラトリーが人気になるまで

1988年、ハンガリーのブタペストで生まれたGabor Nagy(ガボール・ナギー)によって、アメリカのベニスビーチにシルバーアクセサリーブランドが立ち上げられました。それが「Gaboratory (ガボラトリー)」。

14歳の若さでジュエリーの基礎を学んでいたことから優れた洞察により、まだメンズのシルバーアクセサリーが流行する以前から、いち早くシルバーに目をつけていたガボールはその未知なる可能性を発見します。

しかしながら祖国のハンガリーは、当時旧ソ連から政治的改革運動により混乱を招いていた時代。25歳でガボールはアメリカへと亡命を決意します。

その後、様々な工房で、製作をつづけた結果、ついにベニスビーチにてブランドはオープンしました。始めるや否や見る物を圧倒させる独創的なデザイン、重厚な存在感を持ったスカルモチーフを始めとするアクセサリーや、凶暴、危険といった言葉を連想させるブルドッグ、ライオンなどのアニマルモチーフは、正にバイカー好みのアイテムそのもの。

ガボラトリーの情熱と、ガボールの早すぎる死

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確固たるスタイルを樹立したガボラトリーは、その後のシルバーアクセサリーブームの流れにも乗り、地元バイカーの支持を得るだけではなく、名だたるハリウッドスターにも愛され、ガボラトリーのブランドは世界中に広まることとなりました。

ちなみにシルバーアクセサリーの帝王クロムハーツもガボラトリー同様1998年に生まれました。

なおそれよりも3年早く生まれたシルバーアクセサリーブランドをけん引するビルウォールレザーの創設者「ビル」は生前ガボールのデザインにお互い良い影響を与え合っていたそうです。

しかし残念なことに、多くのファンを残したまま1996年1月16日、ガボール・ナギーは45歳の若さで心不全のためこの世を去ります。ガボール亡き後も、世界中に根強いガボールファンは存在していますが、ガボールの作品を心から愛していた者の中にはガボールと共に、ガボラトリーから離れた顧客もいたそうです。

なぜなら、ガボールのジュエリー製作には底計り知れない情熱があったからです。

「雑誌やテレビの取材はすべて断った。自分が変わりたくないからね。」

「ガボールのシルバーアクセサリーにはそれなりの金を払ってもらう。どんなに時間がたっても価値が下がらないものを作っているからな。」

「アメリカではどんなに金をもったやつがいてもコネクションがなけりゃ、ガボールのアクセサリーは買えないよ。」

「ガボールのシルバーアクセサリーは永久保証。どんなに古い物でも直してやる。もし直らなかったら新しいのをやるよ。」

ガボールは上記の名言を残していたようです。

「それなりの金はもらうが、コネがなければアクセサリーは作ってやれねぇ。その代り買った暁には死ぬまで面倒みてやる。」自分の製品に情熱と誇りを持った、日本でいう頑固オヤジの象徴ですね。しかしながらそういった頑固オヤジの腕は間違いなく本物だったりするのです。中にはそういったガボールの生き方に憧れ、アクセサリーを愛した者も数多くいたことしょう。

ガボラトリーの現在

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現在では、ガボールを公私共に支え、ガボラトリー製作当初から唯一デッサンを書いたり、ワックス製作、キャスティングの手伝いとして工房に入ることを許されていた妻のマリア・ナギーと共に、ガボールの最も信頼した職人のピーター、息子のように可愛がっていたマーロンの三人でガボラトリーを支えているようです。

しかしながらガボール死去後のガボラトリーには、元弟子であるパスカル・ザザが本家から派生したガボラトリーインターナショナルを創設してからガボラトリーが二つになってしまい、権利問題による裁判が起こったそうです。

憧れのブランドですから裁判問題で大いに揉めたことも、ブランドイメージが失脚し、これもまた顧客が離れる要因になってしまったのでしょう。

しかし騒動があり、裁判が終了した現在でもガボールの永久リペアリングのサービスは存在しており、ガボールの意志は変わらず継がれています。

「ガボールのスカルは笑ってんだろ?ハッピーにしてくれるんだよ。」

今なおハッピースカルと呼ばれるガボールを代表する、スカルは笑っています。

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